勝負は時の「運」という話。
勝負は時の運と言いますが,
「運がよかったから勝った」,「運が悪かったからダメだった」
など,「運」を理由にしてよいのは,
それなりの努力をはらった人だけだと思うわけです。
私はどちらかと言うと,運のよい人間だと思います。
(デレステのガシャの引きもよい!)
勝負事に関しても,たぶん「運がよかったから」といえるものがいくつかあります。
たとえば,高校最後の部活の大会。
私は陸上部に所属していたのですが,0.01秒の差で勝ち残り,決勝に残ったことがあります。
正味0.01秒なんて,普通に生活していれば「誤差」です。
だからこそ,このときばかりは「運だなー」と思いました。
けれど,そこに至るまでの練習を振り返ると,
決して胸をはれるほどではありませんが,
それでも自分なりに時間を犠牲にして,努力をはらった過程があったと感じます。
さらに,大学受験の話もあります。
実は私は当時の「合格者最低点」で志望大に合格しました。
これは,センター試験でマークミスを1つでもしていたら,
二次試験で,誤字・脱字があって減点でもされていたら,
その大学は不合格になっていたことを意味しています。
この受験については,部活の件とは異なり,私は胸をはって「努力した」と言えます。
1日13時間くらい勉強してたんじゃないですかね,確か。
食事とお風呂と睡眠の時間以外は,ほぼ机に向かっていた気がします。
努力すればすべてが叶うと言いたいわけではないですが,経験上,
「勝負は時の運」が指し示す「運」が意味するものは,
宝くじに当たるような「運」とはまた意味合いが異なると思います。
運で結果が左右されるくらいに頑張れたか。
本当の勝負所では今一度,自分にそう問いただしたいものです。